つくばね

八丈島から筑波への難民年表


以下、年表で使う記号は次の通り

*a: 図説茨城県の歴史, *b:大系日本の歴史,*c:地球工学ハンドブック,*d:筑波山,*e:茨城県大百科事典,*f:日本史事典,*g:国立極地研究所のInternet公開データ、P:ページ数

*1:近藤富蔵、*2:江戸の流刑囚、*3:島焼け、*4:八丈島誌、*5:豊里町の歴史,*6:長戸路文書

例) *cP100 = 地球工学ハンドブックの100ページ


西暦

元号

国  内

その他

1900年頃まで地球平均気温は現在より0.5℃程度低かった*cP404

これを小氷期という。なぜか太陽活動も低下している時期「マウンダー極小期」でほぼ重なっている*cP426

1604 慶長9 津波が原因で飢饉*4
1605 慶長10 八丈富士噴火により飢饉発生*4
1645 正保2 大シケが原因で飢饉発生*4
1700 元禄13 麦作皆無、餓死者多数の飢饉*4
1701 元禄14 風害による飢饉で三百人餓死*4
1711 正徳1 疱瘡と秋作の不良にて三百人餓死*4
1749 寛永2 大シケで飢饉発生百人あまり餓死*4
1768 明和5 大シケで飢饉発生、四百人あまり餓死*4 これ以前は八丈島では毎年のように飢饉が発生した*4
1771 明和8 出百姓アンケートに男81人、女35人応募*4:P188
1772 安永1 出百姓45人(男)出発 *4:188、360
1773 安永2 出百姓10 (11?)人(男)出発
1775 安永4 出百姓26人出発*4:P188
1777 安永6 6年から8年にかけ、大島の三原山噴火*3P3*bP385
1779 安永8 青ヶ島の火山活動開始*4:P291,桜島噴火*bP385
1780 安永9 青ヶ島小噴火*4:P291
1781 天明1 天明の飢饉は関東の潰れ百姓を増やした*4 天明の大飢饉
1783 天明3

浅間山大噴火*3:P3,鳴動は八丈,三宅まで聞こえる*bP372

4/6青ヶ島小噴火、地形変わる*4:P291*3P4*6-2

国内冷害*bP454、利根川大洪水*a年表13

グリーンランド氷床コアに火山灰残す。

アイスランドのラーホ火山大爆発*bP387、エルデヤール火山大爆発*cP425

西欧で太陽かすむ*bP387、西欧では気温1.3℃低下*bP387

1784 天明4 諸国飢饉で農村荒廃*bP454
1785 天明5 青ヶ島大噴火*4:P291 青ヶ島から八丈島に全員避難、八丈の食料事情圧迫
1786 天明6 関東・東北大洪水、飢饉*a年表13,*dP251
じいが峰、又三郎伝説*dP252
1787 天明7

都市で打ち壊し相次ぐ*bP394、関東・東北大洪水、飢饉*a年表14

八丈島で疱瘡大流行300人以上死ぬ*4P183

1789 寛政元 フランス革命おこる(浅間噴火遠因説あり*b)
1790 寛政2

現茨城県上郷村角内に人足寄場創設*5:P244、

鬼平(長谷川平蔵)が提案して作った*f

これは無宿人用の更正施設で八丈島衆とは関係ない

(推測)?。

1792 寛政4 出百姓百人(男女)国地に送られる定着せず*4:P360
1794 寛政6 岡田寒泉筑波に郷蔵をたてる?*dP254
1795 寛政7 八丈島で疱瘡大流行1000人近く死ぬ*4P184
1796 寛政8 幕府、八丈島島民を上郷村字角内に強制移住*5P162
1797 寛政9  (移住の成果あがらず、後に四散する)
1800 寛政12 豊里の人足、次第に減少
1804 文化1年 春、定右ェ門、調査のため6名つれて現茨城県、常州筑波郡、口の堀村へ入植 (成功!)
1805 文化2年 この頃より現茨城県上郷村の人足寄場は流刑地的色彩が濃くなる*5P162
1808 文化5年 間宮海峡発見*d208
1810 文化7年

出百姓政策方針転換、家族出島OKとなる*4

 但し受入体制不備で成功例少なし*4:P188

1811 文化8年 新島から赤薩摩芋導入*4:P625
1812 文化9年 ハンス芋の種導入*4:P625
1818 文政1

定右ェ門、男女41名つれて筑波で5か村開拓

*4:P189,625

1819 文政2 6月、定右ェ門長戸路文書作成、文政年間に本証寺創建*e953
1827 文政10 近藤富蔵流罪着島*4:P625、関東は大暴風雨*5P162
1832 天保3 近藤富蔵と佐々木次郎太夫が詩会で会う*3P203、関東は飢饉*5P162
1833 天保4

出百姓、現茨城県真壁郡に男女50人入植*4:P189、

関東は飢饉*5P162

このあと、出百姓は少なくなる、関東は飢饉*5P162

これ以降、島内に薩摩芋の栽培が広まる