つくばね

プロローグ

 前回の「つくばね」更新からもう1年も経ってしまった・・・。 

 

 前回「つくばね」を更新して間もない頃、私宛に愛読者のNさんからE-Mailが届いた。

 

Nさんとは面識が無かったのだが、なにやら歴史、古文書や地方史研究を(恐らくは趣味で?)している方のようである。そのN氏からのメールを要約すると大体次のようになる。

 

  1. N氏の実家は八丈島にあり、昔は(今も?)結構重要な役目にあった。
  2. ある日N氏が自宅から見つけた古文書には、八丈島から筑波地方に農民が移住した話が載っていた。
  3. それは大体200年位前の事だった。さらにN氏と何回かE-Mailのやりとりをしている内に、
  4. それは佐々木定右衛門という人物が中心となって実行された避難計画であること。
  5. 当時八丈島に送られていた「流人」ではなく、昔から島に住んでいたふつうのお百姓さんが避難したこと。
  6. 定右衛門の呼んだ第2陣が住み着いた場所は今のつくば市にあり、「弥平太村」と称したこと。

 

などが判明したものの、ホームページ「つくばね」取材班としては、

 

「そんな昔に八丈島のような遠い島からこの筑波に来るなんて興味深いわい」とか、
「八丈島は流人で有名だが、なんで逆に本土、しかも筑波山の麓に来るんだろう」とか、

いろいろ興味と疑問が沸き、更なる調査の必要性を感じた。

調査開始!

 まず、本当に八丈の人が住んでいた「弥平太」なる地名があるか、手持ちの地図で調べてみると、確かにある。 大体現在のつくば市にある国土地理院の北のあたりだ・・・。
「でもこの地名は、もっと古くからあるんだろうか?」と思い次にの国土地理院発行の明治16年(1883年)の地図(2)で確認すると、「弥平太村」としてやっぱりある・・・。

う?む。しかし、この筑波の「弥平太村」がほんとうに「八丈村」と呼ばれていたのであろうか? 

 

 私は更なる情報を求めて自宅にある「つくばねデーターバンク」、地元の阿見町立図書館、つくば市立図書館、インターネット等々の文献を調査した。 この時私は既に別の筑波史研究家から、八丈島からの「出百姓」に関する情報は旧豊里町(現つくば市内)の刊行した町史に載っているという情報を得ていた。

 

 あれこれ調査の結果、確かに記録自体はあり、筑波近辺に八丈からのお百姓さんが来ていた事実は確認できたのだが、どうもN氏の古文書と年代が一致しない。 なにか「しっくり」こないのである。

 

 そこで私は遂に、ホームページ「つくばね」初の八丈島役場緊急取材を敢行することとした。

八丈島へ現地取材!

 八丈島は東京から南に290Kmにある常春の島である。東京羽田空港からジェットで約45分、実質の飛行時間は確か30分位で、東京近郊に住んでいれば筑波の学園都市へいくのと同じ時間で(ヘタをするともっと早く)行くことができる。

 

 到着してまずダイビング、海水浴と遊びまくり、夜は近くの郷土料理の店で宴会をし、明日の取材の英気を養なうことにした。

 

 因みに八丈島は往年のNHK人形劇に出てきた「ひょっこりひょうたん島」そっくりの形をしている。

 

そのひょうたんのクビレた所に人口が集中しており、当然飲食店も集中している。ここで「集中」と言っても東京、横浜、大坂などの大都会のイメージで「集中」はしていない。一番の繁華街、護神(ごしん)交差点付近も夜は天の川が見えるほど暗い。友人宅からフクロウの鳴く声を遠くに聞きつつ、
満点の星空の下、その護身交差点近くの郷土料理やさん「梁山泊」で島酒等に舌つつみを打ちつつ、

店主に今回の取材目的を話した。その他あちこちで数人の島民に聞いたみたのだが、どうも筑波の難民の話はあまり有名ではないようであった。

八丈島役場

 八丈役場は空港から遠いのだが、幸い友人の一技殿が出迎えてくれた。 八丈島役場に入り、適当な資料は無いかと思い、役場のおねえさんに、

 

:「あのぉ?、この島の歴史みたいなもんが載ってる資料ありませんかぁ??」

 

と聞くと、大変親切に資料を提供してくれたのだが観光用のパンルレットのようで、いまひとつ情報が足りないみたいだ。 そこで、

 

:「あのぉ?、有料でいいんですが、町史とか島史みたいな本を売ってるか閲覧はできませんかぁ?」

 

と再度聞くと、これまた親切に、「では八丈島教育委員会にご案内しましょう」との事で、なんと役場の裏にある建物に案内されてしまった。「なんだかだんだんスゴイことになってきたなあ (^_^;) 」と思いつつ教育委員会に案内されると、いかにも「偉い」感じで初老の、かっぷくの良いおじさんに対応

 

 外は炎天下の真夏、猛暑の中、予期せず「堅い感じの」所を訪れた私はピンクのシャツに半ズボンにサンダル姿という海水浴スタイル。対応してくれたおじさんは(恐らく教育委員会のとてもエライ人で)ネクタイにスーツの盛装。 通されたところは来客用のソファー並ぶこれまた「堅い」ところ。私は大変恐縮しつつ、キンチョーしつつ、その(恐らくは大変エライ)人の話を取材した。

 

 外は大猛暑、私が冷房の効いた部屋から戻ると、友人の一技殿は炎天下の日光に焼けた愛車テラノの中でぐったりしていた。

謝辞

引用した古文書の原文などの掲載もNさんから許可を頂きましたが、今回は取り敢えずその古文書の存在だけを掲載させて頂きました。N氏の有益な情報の提供に感謝いたします。また突然現れたラフなスタイルの観光客にも関わらず大変親切に対応していただいた八丈島役場と教育委員会の方々にも感謝いたします。

 

ここまでの参考文献

 

  1. 長戸路家古文書
  2. 地図で見るつくば市の変遷 財団法人日本地図センター 2500円
  3. 豊里町の歴史 (複写)
  4. 茨城県の地名 日本歴史地名大系8 平凡社 13800円
  5. 茨城県大百科事典 茨城新聞社 23000円

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