つくばね

陸平貝塚のおはなし

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 ここでは「筑波の伝説」とは少しテーマが違うかも知れませんが縄文時代の風を感じることができる陸平(おかだいら)貝塚についてのお話です。

 

 「筑波の伝説その1」の取材のおり知り合ったM氏の薦めで美浦町にある陸平貝塚を探検することとした私は一路「美浦ゴルフクラブ」という関東のゴルフファンの間では有名らしいゴルフ場のある丘に向かいました (ちなみに私は運動音痴のため会社のゴルフ大会は苦手である)。 

 

 目指す陸平貝塚はこの丘の一角にあります。 たしかM氏は同じ丘に神社かなにか、ほかの遺跡のあることも説明してくれたと思いましたが、私の古代に対する知識の不足のため、残念ながらよく覚えていません。

 

陸平貝塚は日本人だけのチームによって調査された最初の貝塚であり、そのメンバーの多くは明治の日本に近代的な古代史研究をもたらした生物学者、E.S.モースの教え子だったようです。 この遺跡からはこのページ下の写真でもわかりますようにすべて海水性の貝が出土されます(現在の霞ヶ浦は淡水)。 このことが後の縄文海進の研究の先駆けとなったそうです。

 

 「美浦ゴルフクラブ」と「貝塚」のある丘を車でぐるっと廻ってみると、小さな看板で「陸平貝塚」と書かれている小道がありました。その道を入ってやや急な、でもきちんと舗装された上り坂を、たいらなてっぺんまで登りきるとそこが「陸平貝塚」でした。

 

単に広いだけにみえる貝塚をよく見てみますと建設中の木製の研究路や案内板がみえます。

 

 掲示板の案内mapをみて「ほう、この広場には結構あちこちに遺跡が散らばっているんだな」などと感心し、取りあえずこのmapどおりに歩いてみることとしました。 広場はそう、直径で200?300mのほぼ円形。その縁の部分に幾つかの貝塚が年代によって分布しているようです。 あらかじめここが貝塚だと知ってから来なければ単なるグラウンドだと思ってしまうかもしれません。 実際、子供たちが野球を楽しんだ後が軟式ボールの破片などからわかります。

 

 しばらく歩き回ってわかったのですが、足下にあった石と思っていた白い塊はすべて貝で、「第何号遺跡」などと書かれた看板のある場所からかなり離れた、単なる通り道にもその太古の貝殻は沢山転がっています。 さらによく見るとそれは殆どが海水で育つはずの貝ばかりのようです。貝類の知識のない私でもサザエを確認することは出来ました(写真参照)。

 

 実は数ヶ月前にこんな貝塚とは知らずに買ったばかりのカメラ(中古のマミヤ645スーパー)の試写にこのあたりを同じように歩いた覚えがあります。そのときは春で草が今回(平成10年2月14日)より遙かに沢山茂っており、貝のある地面は容易には観察できませんでした。「貝塚巡りは冬場にかぎるな?」などと妙に納得してしまいました。

 

 写真は4000年前の貝塚から出土(掘らなくても表面に転がってる)したサザエと2枚貝です。殆どの2枚貝は中身を出すために上下の貝殻がバラバラで転がっているんですが、この貝は縄文人が加工し忘れたせいかまだしっかりと閉じられていました。「殻を開けたら身の残骸でもあるかなあ」とも思いましたが、4000年ものあいだ閉じていた貝の口を無理に開けるのもなんだか気がひけたのでやめて写真だけ撮っておくこととしました。

 

大昔、どんな料理に使う予定だったのでしょうか? その頃この遺跡から見えた筑波山は、ひときわ広くなっていた霞ヶ浦に「逆さ筑波山」を映し出しながら今と同じ方角に見えていたのかもしれません。

 


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