つくばね

番外編: いってきました 水戸の西山荘!

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 大抵の方はドラマ水戸黄門でご存じと思いますが西山荘は水戸の光圀公が隠居したときの家の名前です。 今回は梅見(この時は3月)をかねてその西山荘に行った時の小旅行記です。

 

 私も「つくばね」と題するホームページを作っている以上、やはり水戸の御老公さまは気になる存在である。 黄門様もかつて江戸に出てくる際、自然と筑波山を目にしたはずである。 この時期は御老公の隠居先であった西山荘も梅がきれいだろうし、これは取材せねばならん! ・・・ と思い、また水戸駅近くで慶喜にまつわる展示会もやってるとのことで、1998年3月7日、我が家の父と撮影機材を車に搭載後、さっそうと水戸にむけて常磐道を北上しました。 

 

 我が家の近くの桜土浦インターから、たしか30分位北上するともう水戸に着くのですが、この日は土曜日。 インター出口数Km手前から高速道路を出る車がズラ?っと列をなしていたので「コリャだめだ! 日が暮れる」と判断。 次の那珂インターで降りることとしました。 その判断が正解で、比較的早く西山荘着。 ここは水戸駅や偕楽園、今をときめく大河ドラマの徳川慶喜展などからかなり遠く、そのせいかなんとか駐車場に車を停めることのできる程度の混雑でした。

 

 西山荘は水戸駅から22?25Km位も離れていて、「黄門さまもずいぶん遠くに隠居したもんだな?」が私と父の初めの印象でした。 敷地はすべて丘の上にでもあるのかと思っていましたが案外低い印象の所から緩やかな傾斜の斜面とその比較的上側に西山荘本体がありました。斜面は梅の木が所狭しと並び、咲き、「梅里」という名前を黄門様が使っていた気持ちが分かったような気にさせてくれます。 

 

 ちなみに「水戸光圀」をなぜ「水戸黄門」と呼ぶかというと、元禄3年に水戸に帰った光圀さまが権中納言に任ぜられ、これを唐名(そのときの中国の呼び方)で黄門というので通称「水戸黄門」と呼ばれるようになったそうです。 ついでに調べてみると、その黄門さまが没後に与えらられた名前(おくりな)は「義公」とのこと。

 

この西山荘、敷地は確かに広いのですが敷地の構成も建物も、全体に質素な感じで華美なところがありません。 特に西山荘本体の建物は実に地味で、そこらへんにある民家の方が広いくらいだと感じました。 天下の副将軍は実に質素倹約を実践されていたようです。 

 

廊下や座敷の柱に打ってある釘など、本来は徳川の金飾りが施されるはずの太い釘を打ち込んだ箇所には浜辺で拾ってきた白い貝が留められていました。 昔はこの白い貝も本来の美しい色彩を放っていたのでしょうが、それにしてもなんと質素で、それでいてなにか雅さを感じました。

 

 天下の副将軍が西山荘で静かに「大日本史」の編纂にいそしんだ跡が、建物のあちこちに解説文と共に展示してありました。 ただ、一つだけ残念なのは個人で楽しむ以外の写真は撮影が禁じられていることです。 仕方がないので今回は私の写真ではなくスケッチを載せておきました。 この絵は西山荘から入り口の門の方を見下ろしたものです。 竹のトンネルが実に美しく、どこかの外国の女性も、しきりに感嘆の声をあげていました。


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