つくばね

筑波山の形成された頃

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筑波山に登山をした方はご存じかもしれませんが、筑波山は山頂から麓まで固い岩の露出した部分が多い山です。特に山頂近辺の岩は「ハンレイ岩」、中腹や山麓を形作る岩は「花崗岩」であり遥か数億年の昔、筑波山の原型となる部分がまだ地底1万メートルのマグマ溜まりだったなごりといわれております。このように地底遥か深いところからゆっくりと隆起してできた筑波山形成の歴史は火山である富士山とは全く異なったものです。なおマグマが急激に冷やされると、富士山を作っているような「玄武岩」になるそうです。


推定3億年前

推定3億年前にこのマグマ溜まりの固化した、筑波から八溝(やみぞ)山に続く「八溝山地」が隆起して、更に1億年前にかけて筑波山近辺は2度ほどの隆起、陥没を繰り返して現在の筑波山の原型ができたとされております。 この痕跡は古い花崗岩に新しい花崗岩が食い込んだ珍しい岩として、岩瀬町上城の石切場で見ることができると私の参考書の1冊は書いて在りますが、結構古い記述のため現在ではどうなっているか定かではありません。

 

より新しい書物によると、筑波山の歴史はやや新しくなるようです。それによると2?1.5億年前に海底に形成された岩盤中に約7000万年前にハンレイ岩、6000?6500万年前に花崗岩のマグマが貫入、その後の地殻変動によって隆起して筑波山を含む初期の八溝山系が形成されたというようなことが書いて在ります。おそらくこちらの説の方が正しいのだろうと思いますが、もっと研究が進んでいるのかもしれません。

今から約3000万年前

今から約3000万年前になると、大型のほ乳類「プノロフォドン象」という象のご先祖さま大陸より渡来。このころはまだ大陸と地続きだったそうです。筑波山の形も現在のような2つの山頂をもつ「双峰」ではなかったようです。またこの頃から日本列島の原型らしきものができてきました。

約2000?1500万年前

約2000?1500万年前、筑波山近辺は今度は少しだけ沈下して「筑波島」、「あぶくま島」をはじめとするいくつかの島になったそうです。この時期にこれらの島々には象のご先祖様と一緒に鹿も住んでいたそうですがその他にも、茨城県北端の久慈郡大子町西金から鹿の化石が、同じく久慈郡棚倉からは昔の人が「天狗の爪」と呼んでいたサメの歯が出てきたそうです。

数百?1000万年前

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数百?1000万年前になると既にプノロフォドン象は死滅し海面も降下して日本列島は南の方で大陸と陸続きになり、この温暖であった時期に今度はステゴドン象が大陸から渡来。日立市久慈町離山の石切場からこの象の化石が見つかったそうです。 この後、ナウマン象、サイなども渡来したとのこと。人類の祖先が現れたのもこの頃、約400万年前だそうです。


約40万年前

約40万年前からまた海面が少し上昇し筑波山は巨大化した東京湾の岬となる。これを「古東京湾」と言うそうで、筑波から八溝(やみぞ)山に続く「八溝山地」系を除いて水戸まで海面下であったこともあるとのことです。この後、いくたびかの海面降下、上昇を繰り返しながら氷河期に突入してゆきます。平地が海水面下だったので当たり前なのかもしれませんが、この頃、筑波に人類(の祖先)が住んでいた形跡は見つかっていないとのことです。

約20万?10万年前

約20万?10万年前、大きな大地の変動によって現在の男体山?女体山の中心付近と、女体山の東側の2カ所に断層が発生。双峰を有する現在の筑波山の形となる。 ただ約13?12万年前は第4期の最終氷河期の温暖期にあたったため、筑波近郊の平地は水位の上昇によって水没しており人の住める状態ではなかったようです。なおこのころ「古東京湾」を作った水面の上昇(海進という)と、縄文時代に起こった海水面の上昇はちがうらしく前者を「下末吉海進」後者を「縄文海進」と呼ぶそうです。 因みに縄文海進の名残がいまは淡水化した霞ヶ浦や菅生沼だそうです。

約9千5百年前?6千年前

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約9千5百年前?6千年前、霞ヶ浦沿岸をはじめ各地に村が出現。このホームページを書くため私が訪れた土浦市立博物館(98'1/17訪問、入場料105円!安い!亀城公園の隣)には土浦市手野町ゴリン山遺跡から出土した9500-7000年前の土器の破片が10点ほど展示されていました。なんでもこの当時の土器は底がとがっているのが特徴だそうです。 なお前に書いた「縄文海進」の最盛期は約8000-6000年前で、そのころは現在よりも海水面が平均で3mほど高く、現在の土浦も水面下であったとのことです。


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イントロダクション
日本百名山である筑波山を中心に霞ヶ浦、学園都市とその周辺の風景、歴史、民話、行事などを写真と旅行記で紹介するページです。